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2006/08/01 (Tue)
「時と人」の三部作と言われるもの。
底に流れるテーマは同じだけれど、あえて三作品を続けて読まなくても、ひとつひとつ、独立した作品。でも、続けて読むと、主人公たちに共通するものが見えてきて、楽しい。できれば、一気に読み、その後、好きなものをゆっくり読む、というのが一番のおすすめ。
「スキップ」
17歳の女の子が、目覚めると突然、42歳に。25年間は、彼女の中に何一つ残っていない。
夫がいて高校生の娘がいて、教師という仕事を持っている。でも、どういう学生生活を送り、どんな胸の高鳴りを覚えていたのか、どうやってこの仕事を決めたのか、この夫を選んだのか、何もわからない。その彼女が、どうやって現状と向き合って生きていったのかというのがストーリーだけれど、驚くほど前向きで、小説にしてもうまくいきすぎ、と思ってしまうところが多い。
でも、たぶん、時間に翻弄されても(自分を危うくするもの何であっても)、自分を失わずに生きていくこと、生きていく人を描きたかったと思うので、私はこのまっすぐな少女も、北村薫もいいなあ、と思う。
「ターン」
自動車事故の描写の後、主人公が同じ一日から逃れられずに、閉じこめられてしまうのがこの「ターン」。毎日毎日同じ日時に戻って、また最初から一日が始まる。日記を書いても、新しい洋服を買っても、自分の主観である翌日になると、すべて消えている。不思議なことに、記憶は残っているので、「昨日はここへ行った」「ここで本を借りた」というのは覚えている。でも、何が起こっても、また、同じ日同じ時刻に戻ってしまう。事故の後から「ターン」が始まるので、なぜこうなっているのかは、読んでいる側には予測がついているのだけれど、それでも、どんどん読んでいってしまうのは、作者の力かそれとも私がこの人びいきだからなのか、だんだんわからなくなってきてしまう。
「リセット」
北村薫は、最近、戦前戦後を通じて生きていく人の物語を描くことが多いような気がする。
これも、そういった流れの中におかれるものに(将来は)なるのだろうけれど、強く反戦を語らなくとも、ほぼ日常の描写しかなくとも、奪われていくことのいたましさが伝わってきて、なんだかせつなくなってしまう。33年毎の獅子座流星群に絡めて描かれるのが、繰り返し出会う人たち。恋人たちというより、相手を強く恋する人たち。想いが叶うまで、出会い続ける。

いちばん好きなのはというと、「スキップ」。
でも、「リセット」のあまりのロマンティックにも弱い。
「ターン」の主人公と電話で会話するもう一人の主人公、というか語り手でもある男性には憧れる。
頑張って生活している自覚はあるのに、なんだか弱ってきているぞ、というときに読むとほっとするような三部作。



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2006/07/10 (Mon)
これも猫と暮らしていなければ、読まなかった本の一冊。
もう10年以上前のベストセラー。猫との暮らしを綴ったもの。
偶然公園で猫と出会ってしまった知人から、その猫を譲り受けた頃を回想し、その最期まで。
猫の一生といっても、人間同様さまざま。
アブサンと名付けられた猫が(漫画の「あぶさん」ではなくアルコールの「アブサン」)
作家の家に来たのは、もう30年以上前のことだから、猫に対する感覚も、今とは少し違っている。現在は、完全室内飼いがベストといわれるし、繁殖を避けたいなら、それでも去勢・避妊は必要といわれる。アブサンは、作家が望んだことではないものの、そのように生きていくことになった。
猫と暮らしている者にとって、(すべての生き物に言えるけれど、人間を含めて)最期を想像するのはつらい。互いにその時々の感情をやりとりして、互いに折り合いをつけて暮らしてきたのに、それが突然断ち切られることを考えると、思わず寝ている猫の頭を撫でてしまう。
出会いから別れまでを読み通すと、やはり猫に対する愛情が文筆を生業とする者としての客観性を上回っているとしか思えないけれど、一応、「猫に関心のない人にも失礼のないように書いた」とある。でも、かつての私のように、猫に興味のない人が手にとって、猫との暮らしに興味を持つとも思えない。やはり、猫との暮らしを知ってこその面白さであると、今は断言できる。極端に言うと、猫好きにとっての猫ものには五割方評価をアップしてしまうような平常心を失わせるものがある。



2006/06/28 (Wed)
中学校を卒業する時、同級生の男子のコメントに、好きな作家・丸谷才一とあって、クラスの中でも思想的に大人びていた(と見えた)彼には一目置いていたので、高校に入ってから、さっそく読んでみた。文体は旧かなづかいだけれども、読みにくいということはない。エッセイだということもあるかもしれない。
その頃から、丸谷才一は、特別な感があって、未だになんだかずっと、とりあえず頭を垂れるというような、弱味を握られているような気がしている。
タイトルは、絵が下手だということの喩えであると思っていた「虎を描いて猫に堕す」が「虎を描いて犬に類す」であったということから、それならば「猫を描いたのに虎」であったら、それは下手なのであろうけれど、画家・圓山應擧は虎を描くのに飼い猫を写生したに違いないという説を聞いたことから。

猫のつもりが虎に描けたというなら、やはり、うまい、ということになるのではないか。
このエッセイは小品ばかりだけれど、奥が深いということなのだろうか。
たしかに、いろいろな問題について、薀蓄をかたむけていて、どの話題も「なるほど」ばかり。
知らないことをたくさん教えてくれるという点でも、私は丸谷才一の大ファンだし、これまでのエッセイだって、面白い。ただ、誰でも知っていること、として語られるものが、私には少しハードルの高いものが多いので、「この作家は何を書いていたっけ」とか「この言葉はこう使うんだったっけ」とかほかのものも調べたりしなくてはならないことも起こり、ちょっと、気合を入れて読む。
でも、いろいろな話題が、次々に出てきて、興味をそそられることばかり。
文学から建築、料理屋の酒からロシアのアイスクリームとさまざま。
もう一つ、私が長く読み続けているのは、文系の人だな、という匂いがするから。年号などの数字は耐えられるけれど、恒星の質量などの数字には弱い。読んでいて、安心する、といってもいい。日本語を読んでいる、ということを意識させられる点でも。


2006/06/27 (Tue)
もう、10年以上読み続けている漫画家は彼と魔夜峰央くらいになってしまった。好きな漫画家はたくさんいても、書き続けていく人となると、なかなか。大島弓子はデビューの頃から読んでいるけれど、(年がばれる)量産タイプではないし。
ドーナッツブックスは、必ず、手に入れる。と、まだ、37、38巻は読んでいなかった。先日、札幌市内の老舗書店に行ったら、「もう出ていないんじゃないでしょうか」と言われたけれど、アマゾンにはあった。できれば、自分で手にとって買おうと思っていたのに、調べもせずにないなどと言うから、書店の価値が下がってしまうのもしかたがない。

いしいひさいち、朝日新聞に連載している「ののちゃん」も毎日読んではいるけれど、実際のところ、新聞の漫画としてはいかがなものか、と思わないでもない。世相を反映してなくてもいいことになってきたのかと思うけれど、夕刊の「地球防衛家のヒトビト」は、キャラクターからは想像できないほどニュースに密着している。
そのほかの漫画も(いしいひさいち は まんが というほうがしっくりくるけれど)妙に鋭いところをついているかと思えば、だらーんとしているものもあり、レベルも一定していない。でも、バイトくんの頃から、ずっと読み続けているのは、やっぱり、面白いから。
これまでで、いちばん好きな一冊というと、「B型平次捕物帖」。
平次とハチとおしず。同じパターンで攻めてくるけれど、たった4コマで(基本的に)すみずみまで、笑えるものが多い。
そういえば、昔の「がんばれタブチくん」などは、時事ネタも入っていて、かえって今読むとわからないので、「ののちゃん」も時代の空気だけ入れておこう、ということなのかもしれない。
ここまで、読み続けてくると、もはや、読んでいるこちらの側もライフワークのようになってきているけれど、最近のものから読んでも、面白い。
ただ、時事ネタを扱ったものは、以前にくらべて、当然ではあるけれども、シニカル。意外に、きつく感じるかもしれない。
ドーナッツブックスは、さまざまなものが入っていて、全体を通して、どれかは誰かに必ずウケル要素があるので、いしいひさいち入門として、オススメ。




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* ILLUSTRATION BY nyao *